私たちのフィロソフィーは、物本来の質の高さを見出し、その物の精神を呼び覚ます可能性をもたらします。
そしてこのフィロソフィーは心の奥深くから来るものであり
物・空間・材料・そして人生に対する各々の見方・感じ方・考え方の根底となるものです
『「不完全」という贅沢』は、常に変化し完成することのない、不完全の美に基づく美的な物の見方です。
このようなライフスタイルは素朴でシンプルなものであり
自然の物も人工的な物も、いやらしさのない優雅さを生み出すものとして使われます。
また、それらの物が使われていく過程において生じる不備や欠点でさえも
それが物・人に優美さ、唯一性を付与するものとなるのです。
『「不完全」という贅沢』は常に時代の変化と共にある美しさであり
その物が歩んできた歴史は経年変化による使い込まれた味や表情、
時には修復の跡によってより強調されるのです。
完成された美は単調で変化に乏しく退屈であり
そのオリジナリティは様々な街角で誰かにどこかで採り入れられる度に失われていくものです。
完璧さは、商業的な次から次へと開発される新商品のおかげで
もはや私たちに感動を与えることはないでしょう。
なぜなら今や経済的に許される人なら誰もがそれを手に入れることができるからです。
このフィロソフィーにおける鍵は、そこに住む人の精神的な豊かさに基づいて
巧妙に設計された内部空間が生み出す効果の重要性を知ることにあります。
現代の住空間は、流行とマーケティング戦略によって定義されますが
『「不完全」という贅沢』は1つのスタイル、ファッションや流行ではなく
まして真似をしたり大量生産される概念ではありません。
金銭的豊かさをひけらかしたり追い求めて行くものではないのです。
シンプルさと純粋さは
『「不完全」という贅沢』を他とは異なる
ただ一つのものにし
さらには純粋な美しさ・荘厳で簡素な美しさを生み出すものなのです。
『「不完全」という贅沢』は
不十分・不完全であることを愉しむものであり
洗練されたシンプルさ・優れた探究への興味深い旅へ
私たちを連れて行ってくれるものなのです。